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老骨、斯く戦へり
ある朝突然、重いだるさに心も体も侵される。活力が負の領域に沈み込み、座っていることさえ耐え難い。どう対処すればよいか分からない。ここが出発点でなければならない。 ✡️歩けても、俊敏な動きができない。特に横への素早い動きができない。これではテニスにならない。 ✡️もう勝負など出来ない。身体的な不調から抜け出せない年齢だ。「アウトになってもいい。その球を思い切り打ち抜け、顎を引いて素早く打ち抜け」、これが近頃の自分への言い聞かせだ。失敗から本当に何かを学び取れるのか?30年同じような失敗を繰り返しているではないか? ✡️心技体の「心」にも問題があった、技や体は言わずもがな。 ✡️反省したにもかかわらず、コートに足を踏み入れた時、きょうも心には何もなかった。目的意識が曖昧だった。一球一球にどう具体的に集中していくか、この心的過程が大事だ。 ✡️サーブ直前のルーティンを始める際、添田栞菜をイメージすることにした。今の自分には偶像が必要だ。 トスと膝の曲げ伸ばし、右手首の内転、これらを疎かにしないという小さな決意、深く心に留めたい。 ✡️コート上では誰も常に相手に攻撃される前に攻撃する意図を持つが、私の場合、好機が到来しても、その攻撃をなかなか先鋭化させることができない。その原因がヨボヨボのフットワークのせいだとしたら、もう希望はない。溜め息が出るばかりだ。が、8割アウトになっても構わない、振り抜くテニスを目指したい。人生最後に破りたい殻がまだ幾つかある。 ✡️唐突だが、何を「手掛かり」にするかは、その日の自分の内面での閃きが決める。一つの言葉、一つの思い付きが、難局打破、停滞からの復調に奏効することがある。聞こえて来た、「今ここで何を表現したいのか?」、「ミスショットになっても構わない」と。僕は勝負の次元を超えて、自分で納得のいくショットを打とうと決めた。一進一退の攻防が続くと、心身の疲労が蓄積する。集中力が切れる。粘れず自分に負けてしまった。「燃えろ」と自らを奮い立たせたが、最悪のダブルフォルトで終わってしまった。 ✡️痛みや違和感を常にゼロに保ち続けることは、もはや出来ないのではないか?必ず来る不調の波、乗り越えることは困難だ。この世では、しかし、良いことも悪いことも続かない。浮沈の繰り返しだからこそ、「今、ここ」を何とか生ききるしかない、覇気を持って、集中して、心身両面の柔軟性を日々追い求めて。 ✡️とは言うものの、「このだるさは何だ」、持ちこたえられるか? ✡️そして、きょうも一度きりの、取り返しのできない物語が終われば、コート上には涙の染みさえも残らない。
